これは映画「カスパー・ハウザーの謎」の1シーンから材を得たものです。重要なシーンなので、ぜひ観たいという方は読むのをここでお止めください。
映画は19世紀初頭に発見された謎の青年の物語です。産まれてからずっと何者かによって牢に幽閉されていたとみられ、発見当時は言葉を話すことも、まともに座ることも、身の回りの世界を認識することもできませんでした。ドイツで実際にあった事件を題材にしています。監督はヴェルナー・ヘルツォーク。有名な映画なので興味のある方は、ぜひ検索してみてください。
このページを最後まで読んだ方は、けっきょくこの映画が見たくてたまらなくなるはずです。
正直村か、嘘つき村か、彼はどちらの村人か
ここに二つの村があります。一方は本当のことしか話せない人が住む正直村です。一方は噓しか言えない人が住む嘘つき村です。
それぞれの村から1本の道が伸びており、その合流点にあなたは立っています。双方の村はこの道を通じて往来でき、正直村の道からやってきた人が必ずしも本当のことを話す正直村の村民とは限りません。
では、あなたに問題です。
正直村の道から一人の男がこちらにやってきます。彼がどちらの村人であるか、たった一つの質問で見抜いてください。
ヒントを差し上げましょう。この質問は嘘つき村の道からやってきた人にもちょっと言葉を変えるだけで応用できるものです。
正解
正直村の道から来た人には「あなたは嘘つき村から来ましたか」とたずねます。正直村の村人なら「いいえ」と答えるでしょう。嘘つき村の村人なら「はい」と答えるでしょう。だって本当のことは言えないのですからね。
これを応用すれば
嘘つき村の道から来た人に、どう質問すればよいかわかりますね。
もう一つのより鮮やかな答え
上のような問答が映画のなかで主人公カスパー・ハウザーと理論・数学の教授の間でなされました。彼が論理的思考ができるようになったかをテストするためです。
正解を求める演出は、じつはこれで終わりませんでした。
カスパー・ハウザーは、教授のすべての解説を聞き終えたところで答えます。
「もう一つ、別の方法がある」と。
その方法とは思いもよらぬものでした。しかもどちらの道から来た人物にもまったく同じ文言の質問を投げかけるだけで見事に解決できる、より優れたものだったのです。しかし教授は「それは受け入れられない」とはねつけます。なぜなら論理的ではないから、と言うのです。主人公とのこのやりとりは、まさに映画の主題を映し出しておりクライマックスの一つともいえます。
現代社会に通じる滑稽なルール
映画はルールにがんじがらめにされる人間の滑稽さをあぶりだしています。この問題はまさに現在の日本で、そして世界で引き起こされている事実です。
先日、あるテストの問題が話題となりました。小学校3年生の算数で「3.9+5.1」の答えを求めるものです。これに「9.0」と解答した児童が減点されてしまいした。直接の理由は定かではありませんが、整数の表記は小学校ではまだ小数点以下のゼロは書かないというのがルールだからではないかという見解がありました。なるほど、ネット上でよく見かける「学校ではまだ教えていないから」という妙な理屈が、ここにも及んでいる可能性があります。文科省の役人が専門家に伺いを立て、教育方針を決める。現場はそのルールに則ることが善となり、子どもの知の育成という本筋からどんどん目がそれていく現実があります。
映画の主人公カスパー・ハウザーが現代に登場してもやはり学校の先生は「その発想は我々のルールから外れている」と否定することでしょう。
自分たちのモノサシで計れないものを排除する。偏見は難民問題を代表とする多様性を排除する思想の拡大を陰で支えています。欧米(それに迎合する先進国)の覇権主義と搾取によって生み出された自業自得のテロリズムとの戦いに疲れた人々は身の回りに壁をつくり、自分たちのルールのなかに閉じこもろうとしています。
カスパー・ハウザーのもう一つの答えを、ぜひ映画のなかでご確認ください。僕らの社会が進むべき世界を彼は示してくれています。
記事一覧掲載の画像:photo by Eric Smart / Pexels
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