2017年11月平日の午前、新宿で「ブレードランナー2049」を観てきました。伝聞のとおり劇場はがらがらで、中列中央の僕の座席より前の列には誰もいませんでした。おかげで僕は存分に嗚咽することができ“旧友”との邂逅をたのしむことができました。
WIREDがドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の言葉を伝えています。
マーベルの映画みたいにはしたくないんだ
出典:WIRED「ブレードランナー続編の舞台裏へ──30年後の「未来世界」は より暗く、より今に似ている」
米国で先行公開されたこの映画の興行成績は投資額に見合わない期待外れのものだったそうです。監督の意図が見事に働き、セグメンテーションされた結果です。「ブレードランナー」の名を冠するのであれば、そして真っ当な心で取り組むならば、それは解きようのない縛りでしょう。僕はその自然さ(力みのなさ)に彼の見識と力量を感じました。
また彼を起用した、そして劇場公開を許したプロデューサーおよび投資家に感謝します。
あなた方は「ブレードランナー」の傑作を未来につなげる道しるべを作ってくださいました。あと三十数年待つことはたぶん許されていないでしょうが、つぎの「ブレードランナー」が製作され、カルトなファンの間で反響を呼ぶことを僕は確信しています。
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公開前にネット公開された三つのショートフィルムのうちの一つ「2022:The Blackout」は、その後のレプリカントの歴史を変える「大停電」を扱ったものです。マーベル好みの監督が、これを題材にスペクタクルな作品をつくったら、もしかしたら映画史を変えるものになったかもしれません。
でも、製作にかかわった誰もそんなつまらないことはしなかった。素晴らしい選択です。
念のため僕は日本人監督が製作したアニメーション作品である「2022:The Blackout」が、たとえば日本のテレビの深夜枠でシリーズ放送されたら、酒も飲まず、すべての回を欠かさず観るでしょう。これはプレビューという役割を超えて、とても魅力的なアニメに仕上がっていました。アニメの錬金術によって純度の高い「ブレードランナー」になっているのではないかと思います。
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ドストエフスキーは作品で「芸術の欠点は、つぶさに鑑賞しなければ何もわからないことだ」と語っています。
なるほど中世の絵画は比喩・引用に満ちており、その隠れた意図を読み取ることがたのしみの一つとされています。
またそれは絵画一般に言えることでしょう。
セガンティーニの「アルプスの風景」=羊飼いの女は高山のまばゆい光を写し取っていますが、キャンバスに近寄り草地の表現に目を凝らさなければ、彼の感じた、そして伝えたかった光の本質を知ることはできません。
長谷川等伯の「松林図屏風」はデザインの圧倒的な美しさはすぐに理解できますが、その松林に迷い込まなくては深い霧の幻想と頬をなでる水滴の冷たさを感じることはできません。
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「ブレードランナー2049」は「難解」という言葉とは別の表現をするなら「理解に思考を要する」作品です。現代社会の比喩があり、その引用は批評に満ちています。時間が粒でできているとしたら、その素粒子の一粒一粒が宇宙であり、それと同様にこの映画の1シーン1シーンにはオリジナルの3時間に匹敵する宇宙があるように思えます。
スクリーンに映し出される文明の喘ぎに、天才の苦悶に、老いの寂しさに、そして孤独であらざるを得ない存在の宿命と救いに、僕はシンクロし、心を震わせ、涙しました。これはいまを生きる飢えし者への芸術です。充たされた者はヒーローを夢見てポップコーンでもかじっていればいい。荒野で骨髄をしゃぶり、飢えをしのぐよろこびを好むのであれば、この映画は必見です。
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